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関東某所9年前に廃墟になったSビル

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モアイ像
ミステリー好きならずとも、一度はモアイ像の写真を見たことがあると思います。
そうあの人面半身を模した巨大な石造彫刻です。
絵画や漫画などで描かれているモアイ像は、なんとなく愛嬌があり、
南の島国の大らかさや、のどかさが感じさせる物が多いような気がしますが、
実際のモアイ像は無表情で、一点を見つめ、哀愁や物悲しささえ感じます。
それは、あたかも、後に自分達を作り上げた住民達に降りかかる悲劇を、すでに知っていたかのようです。

■モアイ像はどこにあるのか?
モアイ像は南米チリの沖合3800キロにあるパスクア島(Isla de Pascua)、通称イースター島にあります。
パスクア島は先住民の言葉では、ラパ・ヌイ(Rapa Nui)と呼ばれていました。

イースター(復活祭)の日にオランダの海軍提督ヤコブ・ロッヘベーン(ヤコブ・ロッゲフェーン)たちによって発見されたので、
イースター島(Easter Island)と呼ばれることとなりました。
どちらかと言うと、このイースター島と言う方がメジャーな呼び方でしょう。
と言うよりむしろ、パスクア島という呼び名が正式名称であると知っている人はほとんどいないのではないでしょうか?

このブログでもこれ以後はイースター島と記述します。

イースター島の周囲は58km、面積は180平方km
日本の小豆島や北海道の利尻島と同じくらいの大きさ、もっとなじみのある伊豆大島の2倍程度という小さな島である。
形は他に形容するような物が思い当たらないのですが、
あえて言うなら、モスバーガーのモスチキンのような形をしています。
モスチキンを食べたことの無い人には全く想像が付かないと思いますので、
食べたことが無い人は検索でもしてみてください。
ああ手羽先と言ってもいいかもしれません。
その前にイースター島を地図で見たほうが早いと思いますが笑

この太平洋上のイースター島は「絶海の孤島」と表現されることが多く、
それを証明する事実として、チリの首都サンティアゴから西へ3,700km、
タヒチから東へ4,000km、そして人が住む一番近くの島まで直線距離にして2000Kmも離れているそうです。ちなみに日本列島の長さが約3,500kmです。
そう、まさに絶海の孤島という表現がぴったりでしょう。

島は火山島で、ラパ・ヌイ国立公園として国立公園に指定され、
そして更に、1995年に世界遺産に登録されたと言うことから、
イースター島は世界に名だたる、極めて自然環境に恵まれた場所と言うことになるでしょう。

■いつ、誰が造ったのか?
イースター島の歴史は、4世紀頃マルケサス諸島から流れ着いた人たちがイースター島に住み着いたのがはじまりと言われています。
日本で4世紀頃と言ったら大和朝廷が全国を統一し、古墳が作られる時代です。
そして、7~10世紀頃(諸説あり)から、モアイ像の製作が始まりました。
つまり、日本では聖徳太子が活躍していた頃には、すでにモアイ像が作られていたことになります。
これを考えると、本当にモアイの歴史は古いんですね。
その後、人々は数百年に亘り、平穏にモアイ像を造りながら暮らし、14世紀に最盛期を迎えます。
そして、16世紀から17世紀頃、部族間の紛争が起こり、モアイの破壊合戦が起こったとあるそうです。
有名な伝承がモアイ倒し戦争です。イースター島には耳長族と耳短族二つの部族がいて、
耳長族がモアイを作っていた耳短族に無理な要求を行い、
それに反発した耳短族が反旗を翻したのが、モアイ倒し戦争と言われています。

イースター島のモアイ像の大部分が倒れていると言うのは、この戦争があったからだという訳です。

さらに、1500年頃からのポルトガル、スペインから始まった大航海時代の流れで、
ヨーロッパ諸国は植民地を求め、1700年頃までに、一部の不毛地帯を除いた全ての地域にヨーロッパ人が到達した経緯がありました。
そして、大航海時代の終盤1722年、ポルトガル、スペインを凌駕し始めていたオランダの海軍提督ヤコブ・ロッゲフェーン達により、
ついに絶海の孤島であるイースター島も発見されてしまいました。
この発見により、イースター島の住民達の暮らしは激変したと容易に想像が付きます。
大航海時代の資料を読むと、当時のヨーロッパ人のひどさが沢山書かれているので、興味がある方は読んでみてください。
当時2~3000人の島民がいたと言いますが、近代火器や刀剣を駆使すれば、
さほど抵抗も受けず、侵略できたのではないでしょうか?

その後1774年には、オランダと並び台頭してきた、イギリス人の探検家ジェームス・クックもこの島に上陸しています。

当然と言えば当然だが、この侵略と「ある重大な理由」により、
この頃、モアイ像の製造もストップされたと言います。

「ある重大な理由」とは、なんだったのか・・・

そして、18世紀から19世紀にかけ、次々と住民らが奴隷として連れ出され、
また、逆にヨーロッパから持ち込まれた疫病の天然痘が猛威を振るったりした結果、
島の人口は激減し、先住民は絶滅寸前まで追い込まれたといいます。

島民もろとも大航海時代の波に飲まれた絶海の孤島イースター島は、
後の1888年、チリ領となり、現代に続くこととなるのです。

■どうやって造り、そして運んだのか?
話は戻りますが、モアイ像はどうやって造り、島のいたるところに運ばれたのでしょうか?
モアイ像の材料は島で産出される凝灰石と言うことが分かっています。
凝灰石が島には無い石だったら、さぞかし面白かっただろうが、凝灰石は島から出るそうです。
その凝灰石はモアイ像のある島の周囲部分からは出ず、ラノ・ララクという島内の山から切り出されたと結論されています。

凝灰石を産出するラノ・ララク山から、石を切り出し、その場でモアイ像を作成する、
または、切り出した石を作業場へ持っていき、モアイ像を作成し、島の周囲に配置する。
おそらく、こういった手順だろうと思われる。

ここでモアイ像の大きさと数に触れるが、平均すると3m~4m 重さ20トン程度だが、中には20m 90トンに及ぶ物もあり、
数は、造りかけのものを含めると1000体弱、ほぼ島の全周に万遍なく配置されているという。

いずれにせよ、巨大な石を運搬する必要が出てくる。
研究家たちは他の古代遺跡や建造物の建設方法の例に漏れず、
モアイ像もテコの原理やコロとロープを使って巨石やモアイ像を移動させたのだろうと考えた。

ここで、初期の研究家たちは奇妙なことに気づいた、
イースター島にはコロやテコに使う木材を切り出す森がなかったのだ。
1体2体程度ならまだしも、モアイ像の数は約1000体以上、
一体これはどういうことなんだ? この謎は後々解けることとなるが、
初期の研究家たちが困惑する様子を想像すると面白い。

その謎の答えだが、後の植物・地質調査によって解明される。
当時、イースター島には椰子がたくさん生い茂り、その椰子が運搬に利用されたと言うことだった。

■どうして島民はモアイ像作りをやめてしまったのか?
ここで、何世紀にもわたり造り続けられてきたモアイ像を、
なぜ島民はぴったりと止めてしまったのか? という結論が出たような気がします。
つまり、先に述べた「ある重大な理由」とは椰子の森の減少であり、
この椰子の森の減少とさらに先に書いたヨーロッパ人の侵略により、
イースター島のモアイ像の製造は物理的に不可能になっていったと言うのが、
素人にも容易に想像が付く結末だったのではないのだろうか?

■何のために作ったのか?
いよいよ、イースター島のモアイ像の最大の謎に迫ります。
一体、モアイ像は何のために、作られたのでしょうか?

神として信仰する対象説、墓地説など諸説紛々、様々な説があり、
結論から言うと、これだと言う結論には至っていない。
というのもモアイ像そのもの以外、モアイ像に関する資料がほとんど残っていないからなのだ。

唯一の手がかりは、島民が使ったと言う「ロンゴロンゴ文字」と言う絵文字の存在である。
文字の刻まれた板や石が、過去には多数存在したと言うが、
後に入り込んだ宣教師たちにより「悪魔の文字」とされ、次々に焼かれたり、破壊されてしまったと言う。
現存するのは24枚程度で解読もほとんど進んでいないと言う。
しかも、先に書いたように島民はヨーロッパ人の侵略を受け、奴隷として死んだり、
天然痘で絶滅寸前になったと言うことなので、文字を読める人は全くいなくなったといいます。

ただ、この文字に関してもモアイ像に関連する記述は見受けられないらしく、
島民が島に来たヨーロッパ人の文字をみて、その利便性を受け、真似したという説が有効となっているらしい。
となると、モアイ像を作るのを止める寸前か、または止めた後に作られた文字らしいという事だ。

うむ。ほんとうに一体何のために作ったのであろうか?
研究者が分からないのだから、想像するしかないのだが、
想像するためのヒントは沢山ある。

概してモアイ像は海のほうを向いていると思われがちだが、
実はほとんどのモアイ像が島の内側を向いている。
これは一体何を意味するのか? 海を見据えるなら、海から来る敵から島民を守るため、
などと想像は付くのだか・・・謎である。

そして、姿であるが、顔だけの物が多く、手足が付いた物が少しあり、
中にはふんどし姿の物、正座をした物、笑った物、オッパイモアイなどがあるという。
帽子らしき物をかぶった物も見受けられる。
オッパイモアイと言うのを見て、頭がオッパイだらけになった人のために説明すると、
女性らしきモアイが仰向けになっていて、胸のあたりが膨らんでいるという程度である。
イースター島の紹介サイト等に写真があると思いますので、
オッパイだらけになった人は探してみてください。

先に書いたとおり、数だが、造りかけのものを含めると1000体弱、ほぼ島の全周に万遍なく配置されている。
島の全周に満遍なく配置され、定かではないが、切り出した石の山の方角を向いていると言うことに、なんとなくひっかかる。
モアイ像自身が山の神だったのか、石を切り出した山に対する申し訳なさだったのか?
ますます謎は深まるばかりである。

大きさも先に書いたとおり、平均すると3m~4m 重さ20トン程度だが、中には20m 90トンに及ぶ物もあるという。

さあ、これらをヒントに皆さんも想像してみてください。
イースター島のモアイ像は、いったい何のために作られたのでしょうか?

有力な説を紹介すると、祭祀目的で建てられたというの説がありますが、
当たり前すぎて、全くつまらないような気もします。

結局のところ、どれも説止まりで、結論は出ていません。

いや、結論が出ないからこそ、イースター島のモアイ像は「世界の七不思議」の一つとして数えられ、
世界中のミステリー好きを虜にしている所以だと思うのです。

そして、南海の孤島でモアイ像を作りつづけた人たちがいて、
その人たちに悲劇があったという事実を忘れてはいけないと思いました。

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